混合で描く未来のかたち

アイディアの有機的な結びつきで未来を描こうという高校生による小さなこころみ。

「体験の深さ」というキーワード。

Covid-19休暇の振り返り。

 この三か月間、学校に行くことの意味とか、学ぶことの意味とか、政治はどんな意味があるのかとか、いろいろなことを考えてきました。人と会わずに紙と画面の表面だけを見つめて生活をしているとたくさんのことが抽象的に見えるようになってきてすごく面白い時間でした。そんな中で、自分の感じ方についても見える部分が多かったのでそれをまずはまとめてみます。今日は短めにいきます。

オンラインにはない体験の深さ。

 月曜日から午前中の授業が始まりこれまでの日常を取り戻しつつあります。この三か月間何もかも抽象化して、それを再び具体化してみる、みたいなことをしてばかりいたので学校生活についてもやっていることの意味とか、その背景にある抽象的な概念とかをすごく考えてしまいます。

 そこでまず気づいたのが情報量の多さです。教室に入ると自分でも気づくほど、家にはない量の情報が転がっていました。まずびっくりするのが人との会話です。メッセージを送りあって話すとスピードも遅いし、文章も短くなるので情報が薄くなっていることは想像していましたが、画面越しに話していてもたくさんの情報がそぎ落とされているというのは驚きでした。直接話すと相手の体の動き全体がみえて、表情が立体的に、ディジタルな表現で言うなら超高解像度ノーレイテンシで目に飛び込んでくるわけです。友達と話していても話題の深さ、楽しさ、発展の仕方、オンラインとはまるで違いました。かわいい女の子と話すにしてもまるで感じ方が違います。相手の身振り手振り、距離感、声の響き、香り、そこに「体験の深さ」のようなものを感じるわけです。

 こうして、劇的に環境の変化が起こり、日常を非日常としてとらえられるようになったことで今までは気づかなかった、学校で直接人と会う意味を感じました。オンライン学習について書いた時にも言いましたが、体験をディジタルに置き換えるとあらゆる情報が抜け落ちます。自分たちが大切だと思っていた以外の部分のほうがより大切だったりするわけです。

最近のMyアナログブーム。

 そんなことを最近考える中でたどり着いたのがアナログの世界です。二つほど例をあげて終わります。

 一つ目が機械式のフィルムカメラ。「デジカメ」が普及して以降、写真を撮ることの意味は変容してきたんじゃないかと思います。フィルムカメラをつかって撮ると、まずフィルムを装填して、巻いて、慎重に画角を決め、露光を考えて、思い切ってシャッターボタンを押します。すると、小さな機械の中で歯車がかみ合わさって大きな音を立ててシャッター切れて、その瞬間が記録されます。そのあと、フィルムを現像に出し、返ってくるまで楽しみにまって、それから撮ったときのことを思い出しながら出来上がった写真を見ることになります。一方で、今最も身近なスマホのカメラ。ポケットから取り出し数回タップすると画面いっぱいに景色が現れ、一瞬にして記録されます。僕にはこの体験がすごく薄いものに感じられて、便利ではあるんだけれど実はアナログに体験したほうがもっと豊かで深い体験になるような気がしています。

 もう一つが手紙です。SNSで瞬時に繋がれることが当たり前になると、文字を介したコミュニケーションの意味も変わっているように感じます。手紙を書くとなるとまず便箋を買いに出かけ、自分が書きたいことをまとめて、下書きをし、丁寧に清書をして、封をして、切手を貼って、投函しなくてはいけません。さらに、返信が返ってくるまで毎日ポストを除いて何日も待つことになるのです。面倒だけれど、この長い時間ずっと相手のことを考えていて、これはSNSで瞬時に会話をすることよりもよっぽど深い体験だと思います。

ディジタル化のリスク。

 そこで最近思うのがディジタルにするということはおおきなリスクを伴っているんじゃないかということです。ここまで書いてきたように、私たちが体験していることには自分たちが思っている以上に豊富な情報が入り組んでいます。これを、自分たちのイメージでディジタルに置き換えてしまうとたくさんの情報が消え去っているのです。今回のように急激にオフラインの学校がなくなったからその価値に気づくことができましたが、写真撮影や文字のやり取りは意識せぬままたくさんの情報が失われました。

 だからこそ、ディジタル化には大きなリスクが伴うということを理解して、メリットをしっかりととらえた使い方をする一方で、アナログな情報の豊かさを常に感じる感性、そしてそれを大切にしていく意識が必要な気がします。