混合で描く未来のかたち

アイディアの有機的な結びつきで未来を描こうという高校生による小さなこころみ。

政治について思うことを書いてみる。

今日の昼の話

 今日の昼間、たまたま国会中継(主たる議論はCovid-19対応策について)を見かけました。森友学園の問題が議題に上がっていた際一度聞いたことはありますが、それ以来だったので新鮮でした。以前は何を話しているのか理解できませんでしたが、多少知識がついたのか内容が理解できるようになっていて成長を感じます。政治やリーダー論などを様々な本で読んだ上で答弁を聞いているといろいろ思うところがあったのでまとめてみます。

国会の答弁はどうあるべきか?

 僕は各大臣のようなリーダー層が集まる答弁で話し合うべきは①大局的な方向性 と ②瞬時に下す必要のある決断 についてだと思います。

 まず①について。前回記事を書いた際にも触れましたが、現状、民主主義においてリーダーがやるべきことは大局的な方針を自分の責任の下で示すことだと思います。(テスラ社 社長 Elon Musk氏のように徹底的に細部までリーダーが干渉するというやり方も注目されていますが、民主主義ではそのような万能なリーダーを多数立てるのは難しいと感じています。なので、現状リーダーは大局的な議論にとどまるべきだというのが僕の持論です。)今日、国会中継を見る限り(すべて見たわけではないので不確かですが)この①のような議論はなされていませんでした。超細部の、例えば給付金の申請方法などについて答弁がなされており、野党が揚げ足取りをしているようにしか感じられませんでした。確かに現場で起きていることを大臣が把握をして方針を定めていくことは大切だと思いますが、これを追及することが目的の答弁だとは感じられませんでした。

 続いて②について。組織を動かしていく以上、何か決断を下すとき様々な手続きを取らないといけないと思います。しかし、それでは即座に必要な決断が遅れてしまします。そこで、大胆な、かつスピードが必要な議論に関しては国会などのリーダーが集まる場で決断し、一気に実行していくことが必要だと思います。その点、給付金による継続的な支援について総理大臣に明言を求めるような言及は素晴らしいと思います。(総理大臣も独断で決断できることではないと思いますが、全体的に保守的な発言になりつつあるのは残念でした。しかし、そういうシステムに根本的な問題があるのだろうし、その改善が果てしなく難しいということを改めて実感しました。)

 以上のように国会が下すべき決断の種類をそれぞれが意識して運営していくことで建設的な議論になると感じました。

オンラインのメリットを生かしたやり方を提案

 話はそれますが、そもそも国会が正に「3密」になっているではないか!と思いました笑 橋下徹氏も強く訴えていますが、国会のオンラインでの実施は急務だと感じます。(実質的に3密を避ける意味合いと、国民全体に訴えかけている国会の立場的、啓蒙的な意味合いで)しかし、教育について書いた時からいっているようにオンライン化で現状を再現するのではなく、メリットを最大限生かして新たな形を生み出していくべきだと思います。そこで、私が思う理想的なオンライン国会をまとめてみます。

 僕が思うオンライン化のメリットは実質、限りなく多くの人が参加できるようになることです。さきほど揚げ足取りになっているという話をしましたが、そのほとんどが細部の「数字」等に関する決定のプロセスをつつくようなものです。そのような議論は国会ですべきでないというのが私の意見ですが、もしするならば(もしくは必要がある場合は)オンラインによる実施が効力を発揮すると思います。具体的にはこうです。まず、各リーダー層だけでなく、その組織の中のより多くの人が国会の議論に参加します。(オンラインになれば場所の制約がなくなり可能になるわけです。)基本的にはリーダー層が議論をしますが、細部に関して議論が必要になったときはその担当者が発言できるようにするわけです。そうすれば、大臣が細部をすべて把握するような不毛な努力も、細部をつついて揚げ足取りをするようなこともなくなり、より建設的な議論になると思います。また些細なことですが、議長に指名されて演壇まで歩き、発言が終わったら席に戻り、という繰り返しや、その他諸々の無駄が多い気がしました。オンラインなら国会への移動時間なども含めてさらに無駄が減らせると思います。

教育との絡みはどうすべきか?

 ここまで私の考える理想的な国会の運営をまとめてきましたが、そもそもこれは民主主義の下で主権者が選んだ議員さんたちがやっているということを忘れていはいけないと思います。(これはネットの書き込みやテレビでのコメンテータの方などの話を聞いていて、あくまで国民が選んだ代表であるという意識が足りないように感じたので言っています。まるで政治家を国民の敵のように扱う発言を見かけますが、彼らの行動の本質的な責任は主権者である私たちにあるはずです。だからこそ選挙権、ひいては被選挙権を十二分に行使して、それを前提に意見すべきだと感じています。)すると、理想的な国会運営をしていくためにはそれが実現可能な人を選ぶこと、つまり主権者である国民が理想的な国会の運営をまなび、実現にむけて行動すべきだということです。そのために教育が重要なのであり、僕が教育について書いた際の教育の意義①にあたります。

 この観点で考えると「公民」の授業がいかに重要であるかがわかります。一方で、これまで実際に授業を受けてきた中では「公民」の授業が理想的な政治の実現に貢献しているようには感じられませんでした。(少なくとも僕が今こうして政治について考えるための予備知識を与えてくれたという意味では貢献しているのかもしれませんが、この予備知識を使って政治について考えている人の少なさを見るとあまり貢献していないと思います。)そこには、先生方が政治的な主張を持ち込めないというところが原因ではないかと考察します。つまり、政治についての意見の持ち方を教えづらいという現状があるわけです。ではどうすべきか。ここでまた登場するのがアクティブラーニングです。(ここまでに二回リンクを張った記事で詳しく書いています。)先生方の「補助」のもとで政治について学校で議論するような場が生まれればより政治に対する関心と、議論をする技術・知識水準が高まり理想的な政治運営につながると感じています。