混合で描く未来のかたち

アイディアの有機的な結びつきで未来を描こうという高校生による小さなこころみ。

下書きで過去の自分を振り返って見えてきたもの。(仮タイトル:人生のモチベーション的なことを話してみたい。)

Pre-Introduction.

 あえて「プレ」とつけてもう一つ導入を付け加えた。実はこの原稿5月5日に書いて下書きとして保存しておいたものだ。(仮タイトルはそのときにつけたもの) ここ1週間自分の将来について考える中で本当に自分がやりたいことを見つめ直した。ちょうど昨日、恩師と話している中で考えがまとまってきたところで、今日たまたまこの下書きを読み返した。すると、今だからこそわかるこれまでのもやもやした部分がこの文章に「如実に」出ていたので面白かったし、大切な感覚だと思った。最後にまとめを追記して公開してみる。

 

↓Written on May 5.↓

Introduction.

 とりあえずなんでこんな抽象的なふわふわしたものを書き出したのかを最初に書いておきたい。ここ一か月以上、直接人と話す機会は激減してこれまで以上に自分と向き合う時間が増えた。自分の弱さとかがありありと見えてきて消極的な気持ちになることが多い。モチベーションを保つのも難しい。一時的なモチベーションを持つことはできても、それが次の日、また次の日に続いていく感覚がない。そんな今の状況を一回自分の外に出して整理してみたいと思う。(文字、それらを記す道具の発明は人間にとって最も革新的な発明だと思う。これだけディジタル化、国際化とか言ってるのにすべてのベースは言葉であり、文字だ。この情報を頭の中だけじゃなくていったん外に取り出して保存したり考えたりすることを可能にしたことは人間にとって果てしない飛躍だと思う。今からその恩恵に預かって自分のなかの不安をここに吐き出してみる。)

 

自分の価値。

 ここ最近の自分の中での不安の根源は「自分の価値の不確かさ」だ。学校にいると友達や先生に褒めてもらえることが多くてこの問いから目をそらすというか、そもそもそんなことを考えなくても自信をもって生きていられる。これまで生きてきた中で、自分が生活してきた環境の中では自分の能力が認められることが多かった。人より成長が早いからなのか、考え方がすぐれてるのか、表現がうまいのか、自分の能力が今求められてることにフィットしてるのか、よくわからないが何かと褒められることが多いし、自分でも自信を持っていることが多い。だけどふと考えてみると決して多くの人と出会ってきたわけではないしなにも自分の能力を担保してくれるものはない。なのに自身はどんどん膨らんでいって、目標は果てしなく高く積みあがっている。最近感じるのは自分が思っているほど能力が優れていないことに気づくことへの恐怖だ。大学に言ったら大したことない人間になるんじゃないか。社会に出たらなにも通用しないんじゃないか。そんなことを考えるようになった。

 僕はMr.Childrenの音楽が大好きだ。僕が幼いころから両親の傍で聞いていたからなのか、それともその音楽性や歌詞に込められた思いが馴染むのかはよくわからないが、ほかのバンドや歌手の音楽を聴いていてもやっぱりミスチルの音楽に帰ってきてしまう。これを書き出したきっかけが彼らのドキュメンタリー番組だ。YouTubeで見かけてその姿に圧倒されながら50分間の映像に見入った。そんなとき、彼らは間違いなくその価値が認められた存在であるし、亡くなるときも何か残していけるんだと思うと羨ましくなった。

 

死生観とか?

 ここは短めにささっと。人生の方向を考えるときに「幸せ」はかなり大切なパラメータだと思う。だけどその捉え方は結構難しい。昨日幸せで今日不幸せなのと昨日不幸せで今日幸せなのはどっちが幸せなのか。”幸せ”の量は変わらないはずなんだけど多分後者のほうが幸せな気がする。そう考えると自分の人生が終わる瞬間に幸せなら全部が幸せになるんじゃないかというのが今の自分の死生観。

 

自分が作り出せるもの。

 そこで浮かんだのが、今自分に何が生み出せるのかという疑問だ。こんな風に文章を生み出すことはできる。幸い幼いころから目立ちたがり屋で人前で話すことも多かったから自分の考えを整理するのは得意だ。興味本位で入った新聞部で文章を作る技術も学んだ。(こういう話をするたびに思うがまさにSteve Jobsのconnectingdotsだと思う。)

 ほかに何が生み出せるのか。音楽と書こうと思ったがそう言えるほど熱量を注いだわけでもない。写真のデータを生み出すこともできるがそれが人の記憶に何か残せるだろうか?

 「自分が作り出せるもの」というこれまで考えたことのなかった視点で自分を見てみると思いのほか何も生み出せない。死生観の話に戻るが、幸せをつかむためには何か社会に変化を残すのが一番だと思う。そのためには 何か作り出さなければならない。じゃあ何が作り出せるのか。システムの変化か、物質的なものか、感情に訴えかけるものか、何があるのか。

そんな新しい視点を得ることができたので今日のアウトプットはここまでにしておきます。とりあえずこれはdraftで。

↑Written on May 5.↑

 

振り返って過去の自分を見て感じること。

 今だからこそこの文章を読んで感じることがある。このときにモヤモヤしていたのは自分がやりたいことと自分の将来の夢に乖離があって、その狭間で迷いがあったから感じていたものだと思う。このブログの一番初めの投稿にも書いたが、僕は小学3年生の時から先週まで、約9年半、宇宙のことをやりたいと自分が心の底から感じているんだと信じてきた。それはあまりにも長い時間で、学校にいると何度も発表させられて、大人たちに聞かれてそれらしい理由と一緒に答えては褒められ、友達からは強い夢があることを羨ましがられてきた中で、気づけば固定概念になっていた。だからこそ自分の本当の興味には気づけなかったし、この1週間で気付くことができて本当に良かったと思う。

 この文章を書いた時から、社会にインパクトを与える存在になりたいとは感じていて、だけどそれが宇宙の話をベースに考えなくちゃいけなかったせいでものすごく歪んだ夢に変わっていた。そうやって生まれた夢は自分が心からやりたいと感じるわけではなくて、頭で考えて納得していた夢だ。

 こうして自分の気持ちを俯瞰できれば簡単なんだけれど、なかなか簡単にはいけなくて、だからこうして自分の思考を形にして、できるだけ解像度を高く保存しておくことは大切だと感じたし、この書き出していく過程で社会に対する洞察でも、自分の心の中でも、本質を見抜くことにつながっていると感じた。これまでにないほど取り止めのない文章になったが今回はこれで満足。以上!